「桜と日本人と中国人」

出身校:[神戸大学]              葛 金龍(男)

 

  

 

また桜の開花季節になった。桜前線のニュースが天気予報よりも頻繁に報じられている。冬の寒さと世の中の不況を耐えてきた人々は一斉に動き出した。桜の名所に遊客であふれている。商店街もにわかににぎやかになり、道路に車も増えてきた。日本全土が静かな熱気に包まれつつある。

    桜の開花季節はさすがに美しい。あのピンク一色の美しさが私も大好きだ。しかし、美しく咲く花が一年中無数にあるのに、なぜ桜だけが日本全国を動かせるのか。日本人の桜に対する情熱に不思議に思う外国人は私だけだろうか。
    一説では、桜の開花時期は、ちょうと日本列島が本格的に春を迎える頃で、人々が出かけやすいからと言われる。
    一説によると、江戸時代までは梅の花を観賞するのが春の行事だったが、武士たちは、美しく咲き、静かに散る桜を、自分たちの理想的な人生の象徴として、謳歌したり、賛嘆したりしていた。庶民たちが彼らに同調し、追随するのが桜好みの由来だそうである。
私は、桜のピンク一色の美しさは、日本人の純粋を追求する美意識と相通じている。これが日本人の桜好みのもっと深層的な原因ではないかと考える。


   日本人の純粋に対する追求は彼らの創造物に反映されている。日本の伝統的芸能・芸術は、博大を追求せず、純粋を追求している。たとえば建築、図絵、華道、茶道、枯れ山水、能、歌舞伎など、優雅淡泊、所々に洗練さで人々の心を魅了する。「日本の美」はまさに純粋の美と言っても過言ではあるまい。日本の製品は、伝統の漆器、陶芸、和紙、着物、日本料理から現代の工業製品まで、精緻良質、高度な知恵と集中力を体現している。
純粋を追求する心は、日本人の性格に反映される。日本人のきれい好き、物静かさは世界中に知れ渡っている。日本人の人々に対する接し方は礼儀正しく親切でありながら、あまり親密な関係を望まず、清らかに一定の距離をおく。


    純粋を追求する心は日本人の生活を貫いている。日本人は日々「一所懸命」「真面目」「曲がったものが大嫌い」「らしさ」などを口にし、「不真面目」「適当な奴だ」「いい加減な奴だ」と評判されるのを恐れている。多くの日本人は仕事一本筋で、仕事を生きがいとし、職場では「仕事の鬼」と言われ、家庭では「粗大ゴミ」と言われ、仕事以外に無知・無興味の「仕事馬鹿」「仕事人間」はいっぱいいるのではないか。私の先生たちもそういう人間である。たとえ飲みに行っても、学問のことしか話せなく、すごく退屈に思ったこともある。仕事一本筋、これは日本人の典型的なスタイルではないか。


    純粋を追求する心は、日本人の研鑚精神、仕事や会社に対する忠誠心をもたらすが、一方、純粋を追求するあまり、単一性の考え方に陥り、融合性を失い、内向的で頑固な性格や画一的で排他的な行動にもつながり、異民族や異文化との共生・融合に障害をきたすこともある。
日本人はまね上手であり、他人と同じ行動をとる傾向が強い。うちそとの区別を強く意識し、集団内部の協調一致を重んじ、個人の能力よりも、集団・仲間との協調を大事にする。一方、集団外の人間に対して、排斥・疎外の態度を取る傾向がある。


    日本人は、自分は単一民族の国家だという。しかし、実際に、大和民族のほか、19世紀初頭に合併された沖縄の琉球人も、19世紀の半ばまで蝦夷地(北海道)や東北の広い範囲で暮らしていたアイヌ人も、独自の言語・歴史・文化や生活スタイルを持ち、異民族であります。しかし日本人は異民族の存在を認めず、アイヌ民族の言語・文化を絶滅させ、強制的に同化した。沖縄の琉球人は言語・文化・生活習慣の存続が許されているが、一つの民族としては認められない。政治上では日本人として扱われるが、民間では、いまだ異なる人間と見られることがある。私があるホテルでバイトをしていた時に、従業員たちが沖縄から来たお客さんを「沖縄さん」とひそかに呼んで、「外人さん」と同じように、その習慣や作法ないし体の匂い、日本語の発音などを議論し、「やっぱりわれらと違うなあー」と感嘆したのを覚えている。自分たちと違う民族なのに、なぜ認めないのか、一つは政治上統治の便利を図るため、もう一つ、もっと深層的な原因は、「純粋さ」を追求するあまり、単一性の考え方に陥り、融合性を失っているためである。今の日本は、外部との物質的な交流が盛んで、一見国際化したかのように見えるが、心の中では依然として自閉的な傾向が強く、異民族・異文化との共生・融合の用意がまだできてないのではないか。


   中国や世界中の多くの国では、例えば朝鮮系やロシア系などの住民を朝鮮族、ロシア族などと呼んで、国の一つの民族として、多数を占める民族と平等に公民権を与えている。しかし、日本では、植民地時代に日本本土に移住してきた朝鮮系の住民に対して、戦前と戦時中は差別扱い、戦後は「在日朝鮮人」「在日韓国人」と呼び、公民権を与えない。ほかの常住する外国系の人々もこのような政治的差別を受け、日本の社会生活の外に排除されている。


    もっとひどいことは、東北や北海道の町の温泉や浴場や飲む場所は「外国人禁止」を書いた看板を出して、一時社会で議論を呼んだ。日本人のマナーを守らないのが理由だそうである。

    一方、かつて日本国民だった海外移民に対して、彼らの帰還を認めない。彼らの子孫の代になると、たとえ日本に来ても、日本人さえ認めず、名前をカタガナで書かれる。言語などの違いも一つの原因だが、日本人らしさに欠けるものを排除する心理も作用しているのではないかと思われる。かつで南米移民の2世であり、サッカー選手として日本のクラブで活躍し、引退後も二十何年間日本のサッカー界で活躍しているミヤモト氏は、日本人と同じ日本語をしゃべっているのに、南米においては日本人と見られ、日本に於いては外国人と扱われていて、自分も何人かわからなくなっていると皮肉を交えて感嘆した話をテレビで聞いたことがある。
文豪の司馬遼太郎は中華文化の融合性について、「中華に入れば中華(人)だ」と言っている。アメリカにも「アメリカに入ればアメリカ人になる」の話があるそうである。しかし、日本では、「日本に入っても日本人にならない」、という。

    これが原因で、中国人を含む外国人は、いくら日本で働いても、いくら日本人の社会に溶け込もうとしても、よそ者のせいで、なかなか信用されず、出世できず、はみ出されるか、いつまでも底の層に止まるか、この二つの結局しかない。最終的に挫折して、日本に対する怨恨を抱えて離れてしまう。中国では、欧米へ行けば欧米好き、日本へ行けば日本嫌いという話が流行しているが、これがその原因だろう。
 

 我々は、季節の行事や日常的な交流の中から、日本人との民族性の差異をよく感じる。我々中華民族の優れた点を見出すこともあれば、日本人に学ぶべき点もある。他民族の長所を学び、自民族の短所を補う、これも、国際交流の真意の一つではないか。

我が中国では、早春には柳の新芽、梅や桃や杏の花、仲春には牡丹や芍薬や薔薇や菜の花、野外散歩(踏青という)でも野花や新緑が楽しむ。春末には柳の飛絮、夏には稲の香り、蓮の花、秋には菊や(桂花)金木犀や紅葉、冬には蝋梅、地方や時期によっていろいろ多彩な楽しみがある。何時何を楽しむかはまったく個人の好みにより、日本のように一種類の花一種類の色に拘り、画一の行事に出ることは想像にもできない。さすが中国は地大物博なのだ。

    我が中国は、5千年(日本人は4千年という)の歴史にわたってずっと多民族共生の国家であり、民族間の衝突も幾度もあったが、多民族間・多文化間の交流が絶えずに続いてきた。多民族の融合・共生こそ、豊富多彩な中華文化を育てて来たのである。


    われわれ中国人の物事の考え方は、物事を絶対化させる「純粋」を求めず、主観的で相対的な「適意」(満足)を求める。「折衷」や「中庸」を重んずる。マクロ的にあまりがあるが、ミクロ的に足りない。融合性に富むが、純粋さが足りない。仕事にも学問にも、おおざっぱなところが多く、慎重厳密な態度が往々にして不足がちである。
中華民族は勤労知恵で、創造力に富んだ民族であり、人類歴史上の4大発明は我々の誇りである。しかし、中国の発明創造は往々にして他民族によって改良・革新され、他人の利器になる。火薬は中国の発明であり、しかし、中国はイギリスの洋銃利砲に敗れた。中国は世界の工場と言われているが、我々の製品は世界一流に入らない、「中国製」は多くの場合、廉価の粗悪品の代名詞である。いろいろな要因が考えられるが、我々の研鑚精神、純粋さに対する追求が足りないのが重要な一つではないか。日本人の馬鹿真面目、一本調子の生活スタイルを笑う中国人も多いが、彼らの仕事に対する熱意、極めつくしへの集中力や研鑚精神は我々中国人が学ぶべくものではないか。


    内部の協調一致を重んずる日本人の行動方式に対して、中国人は個人で行動をとる傾向が強い。中国人は、同じ団体かどうかではなく、自分に合うかどうかで仲間を選ぶ。団体より、個人の能力と努力が重要視されるのである。中国人が「一人の場合は龍であり、一群の場合は虫になる」と言う話は中国人誰もが知っている。この話は中国人の協力意識・団体精神の欠如を物語っている。排他性を持たない、個人能力と努力を重視する、これは大変いいことであるが、協力意識・団体精神の欠如は資源・人材と知恵の莫大な浪費をもたらす。例えば、中国の大学や研究機構の間に協力体制が整えていなく、いまだ研究資料や資材の共有さえ実現されていない。どこでも資料・経費の不足に悩まされるが、しかし、総体的には重複研究をし、同じものを重複購入している場合が多く見られる。中国では、日本人のような団体精神・協力意識を育てられないのだろうか。


    少なくとも、日本人の中に交えて、桜のピンク一色の美しさを楽しむ在日の中国人に、日本人の研鑚精神、仕事に対する熱意、団体精神と協力意識を身につけて欲しい。これができれば、日本における留学・就職・生活の最低限以上の収穫が保障されるだろう。